こんにちは。おにまめです。
今回は、『住まいの基本を考える』を紹介していきます。
作者は堀部安嗣さん、僕が猛烈に尊敬する建築家のひとりです。
堀部さんの実物件紹介と、現代日本の「住まい」に対する主張、建築の成り立ちや住宅に必要な基本性能などの解説がされています。
物件紹介は8物件掲載されており、その全てに堀部さんの手描きプランが載っています。
余談ですが、僕はこの堀部さんの絵のタッチが本当に好きです。
とても温かい印象を受けますし、パースはこれぞ建築家ってくらい上手です。
鉛筆とかでサラッと書かれたエスキースがすでにめっちゃ綺麗!
プランを掲載できないのが残念ですが『堀部安嗣 スケッチ』とでもググってもらえれば、僕の言いたいことが分かってもらえるのではないかと思います。
最近は実設計の時も堀部さんを真似してフリーハンドで描いてみたり。。
今年の個人的な目標が絵をうまくなるっていうこともあって、ちょくちょく気になった建物の絵を描くようしたりしています。
日々鍛錬ですね。
いつかこんなスケッチが描けるようになれるといいな〜と。
話はそれてしまいましたが、実物件の美しさはもう説明する必要もないと思います。
実例もご紹介しようとも思いますが、それ以上に本書は堀部さんの現代の「住」に対する危機感・住宅の基本となる考え方がとても重要で伝えていくべき内容かなと思いました。
住まいの基本
堀部さんは
「衣食住の中で住だけが時間の経過をともなった体験の経験知が、視覚に対して圧倒的に不足している」と問題視されています。
今の住宅は多種多様で、様々な形の住宅が無秩序に建設されています。
そんな中で日常的に見る風景が変なものだらけでつくられていたら、僕たちはそれが変である事にすら気づかなくなってしまうのではないかというのが堀部さんの主張です。
僕も激しく同感!!
ただ恥ずかしい話ですが、自分のつくっている建物が本当にその土地に馴染み、「変ではないもの」であるかどうか、と問われると正直わからない。。
世間一般もそうだと思います。
というのも、
僕も含めて多くの人が本書でいう住まいの基本について考えてこなかったと思うからです。
建築士・施主様共にこの意識が低いのですから、日本の街並みが汚くなっていくのも無理はないでしょう。。
本書の中にハッとさせられる一文がありました。
設計の経験を重ねていくと、ときには目指す方向が見えなくなり、そして設計に充実感と達成感がなかなか得られない日々が続くことがありますが、そんなときにはもう一度建築の基礎である小さな木造住宅を見直し、考え方や技術を、修正してゆくことが大切でしょう。
本書より引用
我々は今一度基本に立ち返れる本質や基礎を学び直す必要があるということだと思います。
自分のつくる建物だけでも、街並みに配慮した家ができるようにこの本を通じて学びたいと思います。
その意識が世の中に少しづつ浸透していけばきっと日本の風景はより良いものになっていくでしょう。
建築の始まり
ここでは建築の原型を夏のビーチや花見に例えています。
ビーチパラソルによってわずかな日陰ができれば、そこに本を読む、眠るなどの人の営みが生まれます。
また、花見をする時には、出来れば日差しを遮れる樹の下を選び、その中でも無意識に美しく咲く樹を選びますよね。
このような姿を建築の始まりと捉えており、その「進化した人間の巣」が現代の住宅です。
建築家とは神に代わって風景をつくる人
『建築家とは神に代わって風景をつくる人』だそうです。
このタイトルは本書で紹介されているギリシャのことわざです。
ズシリとくる話ですね。。
神からの使命を受ける時
「お前は建築家か⁈」
と聞かれれば、
『いいえ、わたしは会社員です。』
と答えてしまうでしょう。
(・・・正直者だが、頭が悪いな。)
建築家とは言い切れませんが、
僕たち建築に関わる人間が「教養」を持って家をつくっていくことは、とても大切な事だと思っています。
他にもこのようなインディアンの教えもありました。
・地球(土地)は親から与えられたものではない。
子供たちから借りているのだ。
・何を成すのであれ、今から七世代後の子供達への影響を考えなくてはならない。
・蛙は自分の住んでいる池の水を決して飲み干すことはしない。
『後世への配慮を忘れるな』ということでしょう。
これは建築家に関わらず、一般の方にも普及してほしい考え方ですね。。
しかし、
堀部さんがなぜインディアンの格言に詳しいのかは謎です。笑
建築とはその時だけの行為ではなく、その後も数十年と残っていくものです。
刹那的な建築でなく、広い世代と広い時代に受け入れてもらえるような建物を作っていきたいですね。
懐かしい未来の話
この章は以下の二つの話から始まります。
鉄筋コンクリートの家で育った小学生がはじめて田舎にある旧来の日本家屋に行った時、縁側で遠くの景色を見ながら「懐かしいね」と言ったという話です。
もう一つはポルトガルに旅行した時に、はじめて行く国・場所だったにも関わらずそこで見た風景は「懐かしい」と感じたそうです。
この「懐かしさ」が結果として「誇り」という感情を生みます。
そして人は誇りに感じるものは自然と大切にしようとします。
懐かしさは五感をともなった記憶が呼び起こされ、気持ちが前向きで大切な感情だと言います。
堀部さん曰く、この記憶と懐かしさが設計には非常に重要な要素のようです。
このような体験の記憶なくして私は設計することができません。
そう考えてみると設計とはいままで見たことも感じたこともないものをつくり出す行為ではなくて、すでに見て感じたことを体感の記憶を頼りにいまに再現する行為と言えるのではないかと思います。
本書より引用
そして居心地のエッセンスは昔からいまに至るまで実はそんなにかわっておらず、またそんなに種類があるわけでもないと思っています。
本書より引用
非常に共感できる内容でした。
このように住宅の基本は意外なほど身近なところにあるのでしょう。
懐かしさの議論の時にいつも僕が感じる違和感も堀部さんはわかりやすい文章で説明してくれています。
「懐かしの昭和」「郷愁誘う町」「懐かしのおばあちゃんの味」などの言葉は昔は良かったという懐古的な眼差ししか感じられない。
本書より引用
過去を缶詰に閉じ込めたような「懐古のパッケージ化」は人のイマジネーションを閉ざしてしまう危険をはらんでいます。
ここでの懐かしい感情とは古いことが良いということではなく、本質を知り、基本を今一度見直そうという堀部さんの姿勢が感じられるような気がします。
実例紹介
中野のマンション
僕が気になった実例は「中野のマンション」です。
この物件は築25年の高層マンションの一室をリノベーションしたものです。
紹介されていた物件は皆、緑豊かで非常に眺望が良い土地が多かったのですが、この建物は高層マンションの改修だったので印象に残りました。
マンションは『コンパクトシティ』なんて言葉があるように都市に住むことは今後人口が減っていく日本では重要な住まい方です。
生活圏にすべての機能が備わっている都市部では高層マンションは今後、より大きな期待が集まってくると思います。
しかしながら、マンションとなると画一的な部屋が連なっているだけのものも少なくありません。
そんな中でこの物件は新しい可能性を見出すのではないかと思います。
戸建の新築の仕事にはない、そんな制約があるからこそ生まれたデザインが多々あるようです。
既存のアルミサッシの室内側にに木製ガラス戸を入れたり、開閉の少ないサッシの前は飾り棚をしつらえ、ディスプレイにしたりなどわくわくするアイデアが詰まっています。
また、マンションなので既存の柱が少ないことも大いに寄与していると思います。
内部のプランはガラッと変えることができ、都市でありながら大らかで豊かな生活が想像できます。
まとめ
建築内部の間取り等を考える以前の話がメインでした。
堀部さんの言葉をお借りすると僕たちは「変わるべきごと」と「変えなくても良いこと」を整理する必要があります。
我々設計士は街並み・風景・歴史・文化にもっと敏感にならないといけませんね。
街となるとある意味他人事ですよね。
それより施主様の家、見た目、プラン、予算などに意識がいってしまうことはしょうがないことだとは思いますが、その結果として多くの美しい街並みが失われたことも事実です。
プロとしてもうひとつ大きな視点から建築を考えなければと気付かされました。
非常に勉強になりました。