こんにちは。おにまめです。
今回のこのテーマ、普段お届けしている【建築】とは全く関係ない話です。
だけど言わせてほしい。。
皆さま、3分だけお付き合いください。
題名の内容は自分でも色々考えて出した意見でしたが、結果的にめっちゃ浮きました。
会社の方たちから、完全にイカれた奴だと思われたことでしょう。
賛否両論あると思いますが、僕の意見を解説しようと思います。
元々僕は、【仕事】がいつ頃からスタートしたのか気になっていました。
ここで言う仕事というのは、現在のような通勤して、労働して、その対価として給料をもらうという仕組みを指します。
「雇用主からお金をもらうという仕組み」になっているから、立場の違いが生まれてストレスが溜るような働き方になるんじゃないか、という疑問を持っていたからです。
僕の会社では
「予定があっても何とかしないと。仕事なんだからな。」
みたいな空気感があってちょっと受け入れにくかったんですよね。。
確かに仕事にフルコミットしている人はすごいな~と感じるワケだけれども、
「仕事は万人共通で最優先事項っしょ。だって仕事ってそういうもんじゃん。」みたいな空気感が苦手で。笑
きっと、【仕事】というカードは何よりも強力なものだと信じているのだと思います。
だけど僕は、自分の人生を犠牲にしてまで、仕事ってやるべきことなのかなぁと思ってて。
生活するために仕事してるんだけど、自分の生活のウエイトがどんどん少なくなって行くような感覚になってたんですよね。
仕事観は人それぞれ違うと思いますが、僕のような考え方の人も居ると思ってさらっと読み進めて貰えたら嬉しいです。
検証
さて、話はそれましたが、僕なりの検証結果はこんな感じです。
今は令和時代。
平成は現在の働き方とほとんど同じでしたよね。
昭和は長かったですが、戦争中を除いてまぁ同じような働き方でしょう。。
大正は!?
明治は!?
こんな感じで遡っていくと、定かではないですが、さすがに江戸時代は士農工商という身分制度があったくらいだから日本人のほとんどが農民で、課税はあるにしても雇用という関係ではなかったんじゃないかなぁとぼんやり考えたんです。
何というか、【仕事】と【生きる】ことが今ほど離れていなかったのではないかと思えたんです。
もっと、【仕事】という力が小さかったんじゃないかなって。。
それで、ふと思ったんです。
「雇用労働の歴史、めっちゃ浅いんじゃないか!?」
と。
だから、そもそも
という道徳を超えた絶対的なことみたいな考え方には無理があるんじゃないかと思ったワケです。
「仕事は尊いものでツライことがあっても耐えることが大事。
そう、それがつまりは仕事」
僕は、
「仕事なんだから頑張ってやらないと人としてダメだよね」みたいな価値観の歴史が浅いということを感じてから、何だか心が軽くなりました。
このプロセスで他の人も納得できるとは到底思えませんが、笑
僕の中でめちゃくちゃスッキリしたんです。
職場の飲み会で一蹴
そんな中、今回の事件が起きました。
僕が、上記のような考えから
「仕事(労働)って別に尊いものじゃないと思うんですよ。」
って言ったら
「お前は理屈っぽい。」
「そんなこと考える前に、仕事をどうしたらうまく行くのか考えろ。」
「俺はそんなことよりもお客様のことを第一に考えている。」
という感じで一蹴されました。笑
あ、あれれれ~!?
結果、繰り返しになりますが、めっちゃ浮きました。
自分だけめちゃくちゃ座高が高くなった感覚です。
なかなか、僕の中では納得できる考え方だったんですけどね。。
賛否はどうあれ、自分との価値観の違いや、時代とのギャップをかなり感じました。
巷では、AIとかベーシックインカムとかが議題に上がっていますが、自分の中で誰一人【働くこと】を考えていないというのも何だか寂しい感じがします。
まとめ
しかし、僕はここから2つのことを学びました。
①当たり前で普遍的だと思っていることの時間軸をぐ~っと延ばしてみる。
そうすると、歴史の深さからある程度正しい判断ができます。
歴史が長ければ、その分普遍的で本質だと考えられます。
だから例えば、食う、寝る、遊ぶとかは結構本質だと思ってます。
働くという行為も昔からありますが、現代の働き方はまだ【暫定解】だと思えてきます。
長い人類の歴史からすると今の仕事観はブームみたいなもの。
「朝電車に乗って、会社に行って、企業理念を大きい声で唱和してから、朝から晩まで働くブーム」みたいな。
今後、働き方が変わっていくのは全然不思議なことじゃないですよね。
②あまり職場でこういう話しない。(傷つくから)
これ言った後、めっちゃ後悔しました。
こっそり自分のなかに留めておきながら、コツコツ自分の信じた働き方にトライしたいと思います。
当然、浮きたくないし。笑
以上、最近の僕の話題でした。